例えば「チューリップのアップリケ」という曲は、貧しさゆえに母親が家を出て行き、父子家庭に育つ少女の悲しみを歌ったものだ。“みんな貧乏のせいや お母ちゃん ちっとも悪うない”という歌詞が強い印象を残すナンバーだ。「山谷ブルース」は山谷のドヤ街に住む、日雇労働者の疎外感を歌ったナンバーだ。高度経済成長を支えながら、その恩恵に一切あずかれない労働者の気持を「泣いてみたってなんになる 今じゃ山谷がふるさとよ」とストレートに表現している。
共に岡林信康のキャリアを代表する傑作だ。ただどちらの歌も昭和という時代背景、社会背景を色濃く反映した内容である。この21世紀、平成の時代にテーマとしてどれだけのリアルを聴き手に伝えられるか。本当ならば大きなハードルのある曲といえる。しかし、この日のライヴで歌われたどちらの曲も、全く古さを感じさせないばかりか、何度も聞いてきた僕のような聞き手にも、また新たな衝撃を与える力を持っていた。
今、岡林信康が若い聞き手から支持され、全ての作品が再発された理由もそこにあるのだろう。今、暗い時代を迎え、多くの人が岡林信康の歌を必要としているのだ。ただ僕としては、時代が明るくても暗くても岡林信康の歌は普遍的な力を持ち続けると思っている。彼の歌の魅力は、とても直接的で力強い歌詞、そしてエモーショナルでポップなメロディーにある。この当たり前の素晴らしさに多くの人が改めて気付き始めたのである。
この日のライヴは3部構成だった。第一部がロック、第二部がフォーク、そして第三部が笛や太鼓などを使った、彼自身が“えんやとっと”と呼ぶスタイルで行われた。時代と正直に、そして自らの衝動に正直に向きあい続けたアーティストのドキュメントとも言える4時間であった。
6月27日 九段会館
(2009年7月7日 日本経済新聞夕刊掲載)
日経ライブレポート 「岡林信康」
2009.07.08 16:13