開演直前の豊洲PITは、すでに熱気に包まれていた。詰めかけたオーディエンスの多さもさることながら、一人ひとりがエズラ・コレクティヴのステージに寄せる期待が、会場全体を独特の高揚感で満たしているように感じられた。そして数十秒後、メンバーがステージに姿を現した瞬間の歓声を聞き、その予感は確信へと変わった。幕開けを飾ったのは“Streets Is Calling”。ストリート由来のヒップホップ的なビートと、メロウなオルガンの音色が呼応しながら、会場をゆっくりとグルーヴへ引き込んでいく。その音像は、ザ・ルーツやジャズマタズ期のグールーにも通じる、洗練されたブーンバップ。しかし、エズラ・コレクティヴがそこに留まらないのは、原曲の洗練性を徹底して身体的なダンスへと接続していくからだ。フェミ・コレオソのタイトでありながら肉体的な躍動を宿すドラムが、観客の動きと呼応し、スタジオ音源とは異なるグルーヴを生み出していく。ラップボーカルを欠いたライブ演奏だからこそ、ビートそのものが持つ推進力がいっそう鮮明に浮かび上がっていた。続く“Shaking Body”も、彼らの身体性を存分に味わうには申し分のない選曲だ。冒頭のヒップホップ的な質感から一転、テクニカルでありながら楽曲の芯を的確に捉えるベース、祝祭的なムードを描き出すサックスとトランペットの掛け合い、そして全体の流れを導くキーボード。それぞれの楽器が独自の役割を果たしながら、決して個々の技巧の誇示に終わることなく、一つのグルーヴへと収束していく。5人それぞれの個性と機能を、言葉ではなくアンサンブルそのもので提示するような演奏だった。紛れもなくジャズでありながら、その響きはどこか土着的で、理屈抜きに身体を揺らしたくなる。エズラ・コレクティヴに期待していた魅力が、序盤から確かな手応えをもって立ち現れていた。
実際、開演から終演まで爆発的な盛り上がりが途切れることはなかった。だが、オーディエンスとの心理的な距離という意味では、最新作『Here Because of Hope』収録の“Birdie Sings”こそ、最も深く会場と結びついた瞬間だったように思う。レゲトンのうねるグルーヴに、乾いた質感のストリングスが重なる。BPMでいえば、この日最もスローな部類だったかもしれない。しかし、グルーヴの奥行きという点では、むしろ屈指の複雑さを備えていた。だからこそ、観客の踊り方も千差万別。一体感を生み出すライブの只中にありながら、一人ひとりが自分だけのリズムを見つけ、自由に身体を揺らす。そんな個々の揺らぎを許容する、文字通りチルなひとときだった。とはいえ、エズラ・コレクティヴの真骨頂は、バンドの演奏だけで完結するものではない。オーディエンスとの相互作用によって熱気を増幅させ、会場全体を一つのグルーヴへと巻き込んでいくことにある。その意味で、終盤に披露された“El Corazón”と“Jubilee Feeling”は、この日のライブの最高到達点だった。アフロビートに南米音楽を思わせるエキゾチックな色彩を重ねた“El Corazón”。対して“Jubilee Feeling”では、キーボードとストリングスが交互に存在感を放ち、せめぎ合うようなエネルギーを生み出していく。アプローチは異なるが、どちらも理屈を超えて身体に訴えかける力強さでは群を抜いていた。バンドもその熱気に応えるように、観客へジャンプや輪を作ることを促し、一部ではサークルモッシュまで発生。演奏とフロアの境界が溶け合う、疑いようのないハイライトだった。終始、熱の冷めることのなかった約100分間。その根底にあったのは、音楽を鑑賞する対象ではなく、身体を通じて共有する体験として捉えるバンドと観客の共通認識だったのかもしれない。思えば、MCでは通訳を介しながら、自分たちの言葉を観客へ届けようとする姿勢が印象的だった。一方、演奏はインストゥルメンタルを軸に展開し、言葉による説明以上に、音そのものがフロアを動かしていた。そこで体験したのは、音楽を情報として理解するのではなく、ただ音として受け取り、身体で応答すること。その感覚は、ある意味で原始的だ。だが、言葉や意味を介さずとも人と人がつながれるという、音楽の根本的な力を改めて実感させるものだった。(北川裕也)