20年前の8月21日、オアシスの3rdアルバム『ビィ・ヒア・ナウ』がリリースされた。
リリース当日にはロンドンのレコード店にオアシスのファンたちが長蛇の列をなしていたが、その中には18歳のピート・ドハーティの姿もあった。「MTV」から突撃インタビューを受けたピートの映像は今でも観ることができる。
当時のピートはインタビュアーに「オアシスという存在を要約して説明して、と言われたら君はなんて答える?」と尋ねられ、以下のように答えている。
このコメントが最高だとのことで、インタビュアーから「カメラ目線でもう一度」と求められたピートは、カメラに向かって同じコメントをリピート。そして、「じゃあ、オアシスを一言で表すと?」と振られたピートは即答で「トラウザーズ(ズボン)だね」と気の利いた答えを返している。ウンベルト・エーコ(記号学者、2016年没)的視点から見ると、ノエル・ギャラガーは詩人、リアム・ギャラガーは広報担当って感じだね。僕はいつも、そのコンビネーションって完璧だなって思ってるんだ。分かる?
しかしこの後10年足らずで、ピート・ドハーティとリアム・ギャラガーは犬猿の仲に。同じ女性の間に子どもをもうけていることも不仲の原因のひとつと言われているが、2人の確執はいつから始まったのだろうか。本記事では2000年代初頭からの2人の発言を紹介しつつ、不仲の歴史をたどっていく。
まずはリアム・ギャラガーとピート・ドハーティーというロックスター2人の間に子どもをもうけたリサ・ムーリッシュについて簡単にご紹介。
リサ・ムーリッシュは1989年頃にソロ・シンガーとしてのキャリアをスタート。2000年代初頭にはインディー・バンド「Kill City」のボーカルを務めていた。リアムとの間にもうけた娘、モリーは現在20歳。その後リサとリアムは破局し、数ヶ月後にリアムはパッツィ・ケンジットと結婚している。
ピートとの間にもうけた息子、アスタイルは現在14歳だ。リサがアーティストとして活動していた頃の音源はほとんど残っていないようだが、YouTubeなどで数本聴くことができる。
そして2005年6月頃、ピート・ドハーティ率いるザ・リバティーンズが2ndアルバム『リバティーンズ革命』をリリースした翌年のことだが、2人はリサ・ムーリッシュの家で鉢合わせてしまったのだという。その後リアムはリバティーンズの悪口を言いつつ、ピートの薬物中毒に対してディスりを展開。
「NME」によると、リアムは「『リバティーン』ってどんな意味か分かるか? 自由だよ! 奴は通りの角に立って、ヘルメットしてヘロインやってるみたいな野郎だぜ? そこに自由なんて何もないさ。イライラするんだよ」と発言していたようだ。
しかし、これに対してピートは理論的にリアムを攻める。
「contactmusic.com」によると、ピートは「あの件については彼と話をした。明らかにスペルさえ知らないみたいだったから、とりあえず辞書を読ませたんだ。『libertine』というのは、liberty(自由)が何たるかを説明してくるような奴の言いなりになるんじゃなくて、1人の人間としてその自由を自分の中で実現する人のことだって説明してやったよ」と語っていたのだという。
そしてその後、2人の間に仕事上でも問題が起きてしまう。ザ・リバティーンズが2005年の8月に行われたオアシスのライブのサポート・アクトを務めることが決定し、共演が実現するはずだったものの、ピートが遅刻してしまいリアムを激怒させたのだ。
ピートは前日にパリで友人のファッション・デザイナー、エディ・スリマンのバースデー・パーティーに出席しており、イギリスへの移動が間に合わなかったのだという。結果的にザ・ズートンズが代役を務めたが、リアムは後にスペインの新聞「El Mundo」に対し以下のように語った。
「これでもう関係はおしまい。あいつには二度目のチャンスなんてやらない」「プロ意識とか、そんな次元の話じゃない。それよりもっと単純なことさ。俺たちは世界最高のグループで、ピート・ドハーティにも、俺自身にも、エルヴィス・プレスリーにさえ、俺たちの邪魔は絶対にさせないって話だ」